白丁
はくてい、はくちょう
韓国語ではペクチョン、ペッチョン
李氏朝鮮においては、八賤、七賤と言われた賤民(非自由民)のなかで最下位に位置する被差別民を指す言葉である。
白丁は大抵、都市や村落の外の辺鄙な場所に集団で暮らし、食肉処理、製革業、柳器製作などを本業にしていた。白丁と常民の結婚は許されておらず、居住地域も制限された。また、高価な日常製品の使用も禁止されていた。農業や商業に従事することは禁止されていたが、李氏朝鮮中期になるとこの規制は緩み、農業などに従事していた者もいたようである。一方、国の管理に属さない化外の民であったため、戸籍を持たず税金や軍布(徴兵の変わりに収める布税)なども免除されていた。奴婢が国により管理されていたのとは対照的である。支出や行動が厳しく規制される反面、本業による手数料などを得ることができたことや、両班階級が財産を没収することすら忌み嫌ったために、李氏朝鮮時代に繰り返し行われていた庶民に対する過酷な財産徴収なども受けず、李氏朝鮮の中では唯一資本蓄積が可能な階級だったとも言われている。
韓国においては、罵倒語として「白丁」(ペクチョン)「白丁野郎(ペッチョンノム)」という言葉が使われることがある。