尾籠は便所

  1. 漢の時代に漢民族は、まだ、多く黄河、楊子江のあたりに集まっており、南方に充分な展開を見せていなかった。この南方人は、中央部の人たちから見ると、たえず、ガヤガヤ、やかましい人たちであった。で、中央の人たちは、南方人を、「烏滸(おこ)」と呼んだ。烏(からす)が滸(水際)に集まって、無秩序にガヤガヤいっているみたいということ。
  2. この「烏滸」ということばは、そのあと、「おろかしい」という意味を併わせ持った。
  3. 奈良・平安期に、このことばが日本に入ってくると、日本には、「烏滸がましい」ということばができた。その意味は、上と同様「おろかしい」ということ。
  4. 室町期に入って、この「烏滸がましい」は、「尾籠(おこ)がましい」というアテ字で書くようにもなった。
  5. で、それから、まもなく、この「尾籠」の文字から、つぎのような意味を生じた。「籠」は、元来、カゴであるが、旗籠(ハタゴ。旅館のこと)とか、棚籠(タナゴ。店舖のこと)といったことばがあるように、建物をもあらわしていた。尻尾用の建物などと、人間に尻尾はないが、ともかくも、「尾籠(おこ)」は、便所のことを意味するようになった。
  6. で、江戸期に入ると、江戸の殿中で、「尾篭(おこ)」を「尾篭(びろう)」と読んで、「尾篭(びろう)の話」と申せば、便所の話、ひいては、大小便の話を指すようになった。

http://hac.cside.com/manner/8shou/12setu.html#sa1